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パチンコの原型は大正13年にヨーロッパから日本に伝わったウォールマシンが原型とされ ています。一銭硬貨をはじき景品を獲得する子供向けゲームとして普及し、昭和5年にパチンコ店第1号が誕生し、その後昭和12年に戦時特別措置令で新規営 業を禁止されるなどしますが、戦後復活します。



それまでのパチンは細々と景品好感していた庶民の娯楽でした。ところが敗戦、後駅前の一等地を襲撃・不法占拠した朝鮮人が、米軍から横流しされたタバコを景品にしたことで、それを渇望していた庶民を急激に魅了します。
その上戦勝国民を自称した彼ら朝鮮人は、バックの朝鮮系ヤクザ共々“不逮捕特権”を武器にして、公然と換金行為まで行って賭博産業としてぼろ儲けし始めたのです。

当時の状況の一端を知る手助けとなる一文をご紹介します。


     いま全国に約一万八千軒あるパチンコ店のうち、在日および帰化者二世 ・三世を含む)が経営する店の割合は、六割とも七割とも言われる。三軒 に二軒は、オーナーが韓国・朝鮮系ということなのである。パチンコ台の製造メーカーにも、最大手の「平和」を筆頭に、韓国・朝鮮系の経営者が 名を連ねている。(中略)

     パチンコが全国に広まり大衆的な人気を博するのは、明らかに日本の敗戦直後からである。身近に安価な娯楽がなかったためという理由ばかりではな い。焼け跡闇市の時代の庶民を何よりも魅了したのは、景品に出されるタバコだった。配給制で常に不足がちなタバコが、強力な呼び水となって、戦後最初のパ チンコ・ブームを巻き起こしたのである。かくしてパチンコ店は雨後の筍のように増えていくのだが、当時、開店資金をどのようにして工面したのか、その経緯 が在日自身の口からおおやけにされることも、私の知るかぎり絶無と言ってよかった。

     『こんなことを話す人間は、ほかにおらんだろうね』 と前置きして、キムが語る。『闇市で儲けて、それからパチンコ(店経営)に走った人が多い んですよ。じゃあ闇市で何をして儲けたかというと、結局、ヒロポンと贓物故買(ぞうぶつこばい)だよね』 密造した覚醒剤を売りさばいたり、盗品の横流し をしたりして、短期間のうちに大金を作り、それをパチンコ店開業に振り向けたというのである。

     『そういううしろ暗い過去がなかったら、カネなんていうものはそんなに貯まらんですよ。うしろ暗い過去があるから、人にも言われんわけでね』

    (贓物故買=窃盗、詐欺などの犯罪行為によって不正に得た物品を売買すること)

    戦争直後、韓国・朝鮮人がいくらかの元手ができるとすぐパチンコ店経営に乗り出したのは、日銭が確実に入り、その額がほかの廃品回収や焼肉といった職 業よりも格段によかったからである。一日の売り上げだけを見ても、数字のゼロが一つかニつ多かったのだ。


    「コリアン世界の旅」 野村進 1996年 講談社
 
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